Junichi Uekubo

上久保淳一


自然の恵み、月ヶ瀬の大和茶

自然の恵みがもたらす月ヶ瀬の大和茶奈良市月ヶ瀬(旧月ヶ瀬村)はかつて生糸や染料の生産で村の産業を支えていた地域であり、それらの社会的需要が衰退した後は、緑茶の栽培を主要産業として発展を続けてきました。しかしながら、昨今ではその緑茶のニーズも失われつつあり、市場価格の下落も留まることを知らず、月ヶ瀬にとっては致命的な問題として重くのしかかっていました。

そこで地域の人々は協力し合い、共同工場を建設することで、国の支援を受けながら大規模な緑茶製造をする方向にシフトチェンジしました。

月ヶ瀬で生産される「大和茶」は、全国で最も有名な隣県の「宇治茶」と並ぶほどの生産量を誇り、品質的にも肩を並べる良質な緑茶になります。特に月ヶ瀬の大和茶は、茶葉の育成にあたって基本的に「かぶせ(日光を遮ることで色艶を出し、旨みを濃縮させる技術)」を行っており、完成する茶葉は煎茶と玉露の間に位置するもので、緑茶の深い旨みを味わうことが出来るという特徴があります。

上久保さんをはじめ、月ヶ瀬の人々は大和茶の魅力を多くの人に知ってもらうために、地域をあげて緑茶製造に取り組んでいるのです。

改植による緑茶の再生事業

改植による緑茶の再生事業「茶の樹そのものは数百年生きると言われていますが、緑茶生産の現場では、実際は30年程度で樹が限界を迎え、品質維持が難しくなってしまいます」

上久保さんは現在緑茶農家として3代目の位置にいますが、1世代で1度は必ず改植を行わなければならないと考えています。特に前述の「かぶせ」を行った茶の樹は、おいしい茶葉を収穫する代わりに、その分樹に負担がかかるため、30年より早いペースで改植をしてかないと、樹が老朽化してしまい、良質な緑茶を作りづらくなってしまいます。

改植とはもちろん、現状の茶の樹を抜いて、新しい苗を植えることを意味します。茶の樹は収穫ができるまでに5年ほどかかりますから、5年の間、改植した畑は利益がゼロになってしまうのです。また、苗木代、造成費など多額の費用がかかるため、すべての農家で改植を行うわけではありませんが、上久保さんは茶葉の品質にも大変なこだわりを持っており、現在畑の4分の1の茶の樹を植え替えています。

大和茶の品質を引き継ぐために、あるいは先代たちの緑茶を超えるためには、どうしても改植が必要不可欠であり、それもまた緑茶農家として生きるためには、避けては通れない道だと上久保さんはおっしゃいました。

畑に同行すると、植樹1年目と2年目の茶の樹が可愛らしく並んでいました。小さくて弱々しい苗木はとても茶の樹には見えず、しかしそれに微笑みかける上久保さんの眼差しは、子どもを見守る親のようにも見受けられました。

「地域の人たちに協力してもらいながら植えた樹です。僕の家族であり、また月ヶ瀬という地域の子どものような存在でもあるのです」

茶師として目指すものとは?

茶師として目指すものとは何か現在、緑茶の製造工場では全国的に高性能な管理システムを採用した機器が導入されています。農家の担い手が少なくなってきた昨今において、高度な技術を搭載したシステムの導入は非常に革新的であり、良質で美味しい緑茶を大量に生産することが可能になってきました。ペットボトルや菓子類などに緑茶が用いられるようになった現代社会において、少ない作業員で大量生産が出来る管理システムの導入は、大きな成功を生むようになりました。

しかし、確かに機械は高品質なものを同じ基準で作りつづけることは出来ますが、その反面、商品が画一的になってしまうという側面もあります。特に急須で淹れる緑茶は、緑茶農家の「個性」を味わうのが楽しみの一部でもあり、茶師としての修業を積んできた上久保さんにとって、それはどうしても「面白味が欠ける」ものでもありました。

昨今のニーズを考慮すれば、緑茶を大量生産し続けることは緑茶産業全体の成長にもつながり、また月ヶ瀬という地域においても、それがかけがえのない支柱となっていることは間違いありません。一方で、急須で淹れるための緑茶、つまり茶師たちが品質を競い合いながら生み出されていたかつての緑茶は、一体どうなってしまうのでしょうか。忙しない現代社会において、もしかすると、緑茶を急須で淹れるという文化そのものが失われてしまうのかもしれません。そのわだかまりや懸念は、上久保さんの中で日に日に大きさを増していきました。

茶師として、自分がすべきこと、自分が目指したいものは何であるのか。その想いこそが、上久保さんの中で、ひとつの行動に駆り立てたきっかけにもなりました。

緑茶文化の再振興を目指す

ふたたび緑茶の文化を広めていきたい2014年の新茶生産から、上久保さんは自分だけのオリジナル緑茶の製造を始めました。普段は品評会用の緑茶を製造する小さな研修工場に、丹精込めて育てた茶葉の一部を持ち寄り、茶師としての経験を活かしながら、上久保さん自身が納得できる緑茶を完成させたのです。

この忙しい現代社会に、ペットボトルの緑茶が流行するのは当たり前のことであり、むしろそれは、緑茶業界の見出した進化のかたちであることは間違いありません。上久保さんもそれに対して強く肯定的な態度を持っています。

一方で、緑茶には急須で淹れるという飲み方もあります。語弊を恐れずに言えば、急須で淹れてこそ、緑茶の本当の味わいを体験できるのです。かつては茶師たちが技術を競い合い、互いにとって最上級の緑茶を作り上げ、それを消費者が飲み、評価し、その評価がさらに高品質な緑茶を生み出していきました。つまり、緑茶は茶師と消費者によって支えられてきたのです。しかし、昨今の生活において、そのシーンを見出すことは難しいと言わざるを得ないでしょう。そして、それは同時に、急須で淹れる緑茶の存在がますます希薄になっていくという警鐘でもあります。

手揉みの技術を学び、緑茶の持つ可能性を知る上久保さんだからこそ、ただただ黙ってその現状を見過ごすことが出来なかったのでしょう。

緑茶を急須で淹れるには、「ゆとり」がなければ出来ません。かつての日本人にはそのゆとりがあり、今の人々にはゆとりがない、そう言ってしまえば簡単な事なのでしょうが、しかし、それが日本の文化として栄え、人々の間に浸透していたという事を、忘れてはいけないでしょうし、また、一人の茶師として、私はその文化をやはり残していきたい。上久保さんはそう考えます。

「緑茶は奥深く、私も手揉みを通じて、緑茶の魅力にみせられた一人です。だからこそ、私は緑茶の可能性を追求していきたい。月ヶ瀬は、もともと良質の茶葉を育てるのに大変適した地域です。大量生産とはまた違った、高級な緑茶を育てるという姿勢もまた大事であり、その姿勢を再び消費者の皆様に浸透させることが、同時に、月ヶ瀬の未来にもつながると信じています」

その志を胸に、上久保さんは新しい緑茶づくりを始めたのです。

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