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丸高農園


唯一無二の香り茶農園

日本最大の緑茶生産地、静岡。その静岡に100年ほど続く歴史を持ち、また近年でも日本茶アワードを受賞するなど、その独自技術で多方面から称賛の声を浴びる緑茶農園があります。それが本山の丸高農園です。今回は、その園主である高橋達次さんと、息子さんの一彰さんにインタビューを行いました。

丸高農園といえば、国内でも大変珍しい「香り茶」で広く知られているのではないでしょうか?香寿や春巡といった特有の香りを持つ品種を用い、微発酵させ、台湾製の釜炒り器で仕上げたそのお茶は、緑茶とは思えないフルーツや花の香りを醸しだす独特の逸品であり、多くのファンを魅了しました。他では見られないその製法が評価され、2014年には「香りのお茶部門」および「発酵系のお茶部門」にて日本茶アワードプラチナ賞を獲得し、NHKの番組にも取り上げられました。

それでも高橋さんの研究心は衰えを見せず、毎年新しい品種を探し、製法に工夫を施しながら、さまざまな新商品を作り上げています。「オリジナリティ」という観点で取り上げれば、丸高農園の緑茶は文字通り唯一無二の存在であり、他店では体験できない香り、味わいにその身を浸すことが出来るはずです。

丸高農園としても、この香り茶シリーズは園を代表する商品として位置付けており、インタビューの間にもその歴史や想いについて多くを語って頂きました。以下ではその旨をご紹介したいと思います。

個性を探す長い旅路

改植による緑茶の再生事業古くから緑茶の産地として名を馳せる静岡は、「うま味・甘み」の強い「ヤブキタ」を主流に目まぐるしい緑茶産業の発展を繰り広げてきました。

しかし、それも昭和の時代までだったと、高橋さんは振り返ります。平成に入ったのち、緑茶離れが深刻化し、また大企業の参入や缶・ペットボトルが普及することにより、緑茶の単価は右肩下がりとなり、多くの農家が窮地に立たされるようになりました。

そのような現状に、高橋さんは早い時期から危機感を頂いていたそうです。

「牧之原のように広大な平坦地であれば、機械化による大量生産も可能でしょう。しかし本山のような山の急傾斜地では、そのような産業は実現できません。当初は画期的な品種であったヤブキタも今では当たり前のものとなり、このままでは多くの茶園が経営を危ぶまれることになるはずです」

その言葉どおり、大量生産が難しい地域においては、生き残りをかけた道を模索する日々が続きました。そして、打開策として高橋さんたちの導き出した答えが、これまでにない個性的な緑茶を作り出すという方向性だったのです。

「緑茶農家が生き残るためには、若い世代に改めて受け入れられる必要があります。さまざまな飲料が出回る昨今において、緑茶にも新しい可能性を追求すべきです」

高橋さんは世界中のお茶の研究を始めました。そして紅茶、中国茶、台湾茶などありとあらゆるお茶を体験する中で、ひとつヒントを発見したのです。それは、海外のお茶には、「香り」という「特徴」があることでした。つまり、緑茶にも特有の「香り」を取り入れることで、安売りのできない個性的な商品を作れるのではないかと考えたのです。

そこから、高橋さんの香り茶作りは本格的に始動しました。まずは台湾へと視察に赴き、台湾の香り茶の製法を学びました。台湾製の釜炒り器を購入したのもそのときです。そして日本に戻ると、香り茶製法を活かすための品種探しを開始しました。ヤブキタをはじめ、これまで多くの農園でも取り入れられている品種はもちろんのこと、一株一株性質が異なる在来種にも研究の目を広げ、何十回、何百回とそれぞれの味を確認し続けました。

そのような品種探しの長い旅を経て、ついに高橋さんは、最適の品種を発見することになりました。それこそが、丸高農園に新たな境地を導き出した「香寿」だったのです。

「香り」という緑茶の可能性

茶師として目指すものとは何か「香寿」はヤブキタと別の品種が自然交配したものと考えられています。この香寿には、アントラニル酸メチルというヤブキタにない香り成分が含まれており、それはブドウやジャスミンにも含有されています。丸高農園では、香寿の葉を萎凋させることでさらに香りを引き立て、そして蒸し製法ではせっかくの香りが失われてしまうため、釜炒り製法で作り上げているのです。

このような丸高農園の品種選択および製法は、他園では実践されていないオリジナルのものであり、文字通り唯一無二の存在となっています。そして、その挑戦的な緑茶づくりは各メディアにも取り上げ、中でもNHKによる全国放送が実現した際には、大変な反響を呼びました。現在では丸高農園の香り茶を入手することは困難といわれているほどです。

また、香寿はあくまでもきっかけに過ぎません。丸高農園ではすぐさま新しい品種の探索へと再び向い、更なるオリジナル商品を開発しているのです。緑茶が売れない現代において、このような匠の発想や挑戦は、緑茶大国静岡でも大きな注目を集めています。

「日本のヤブキタはお茶のうま味を追求してきました。でも、それだけでは幅が広がりません。世界的に、茶は香りを追求しています。香りとうま味の両者を追求したお茶を作ることが、次世代の緑茶農家の目指す道だと思います」

新しい時代を目指す親子

ふたたび緑茶の文化を広めていきたい次期園主となる高橋一彰さんは、家業を継ぐ以前、愛知県の会社に勤めていましたが、6年前、両親も高齢になり、今までの緑茶づくりが難しくなったことをきっかけに、家業を手伝うようになりました。当初は緑茶づくりに興味を抱いていたわけでもなく、あくまでも両親のサポートという立場でしたが、緑茶の販売会やJAの青少年部の集会へ通いはじめると、緑茶の持つ様々な側面や、緑茶に携わる人々との触れ合いにより、次第に緑茶の魅力にのめりこんでいったそうです。

特に地元の同年代の人が家業を継ぎ、誇りをもって一生懸命緑茶作りに専念し、そして輝いている姿を目にすることが、一彰さん自身も茶農家に専業する決心を芽生えさせたと仰っていました。

「緑茶の人気が低迷している中で、将来に対する不安もありますが、丹精込めた緑茶をお客様に褒めて頂く瞬間は、何にも替え難い喜びですし、また周りの生産者の方々の頑張る姿が私の励みになるんです」

一彰さんが就農するまで丸高農園ではパソコンを使用することはなかったそうですが、前の会社で培ったスキルを活かして様々な資料を用意したり、ホームページ上での商品販売も自ら指揮を執って始めたそうです。

今回のインタビューは高橋さん親子からお話をお伺いしましたが、一彰さんはその間ずっと熱心な様子で園主の話を聞き、時に資料を渡してサポートをしたりと、真剣な様子をうかがうことが出来ました。

「父から教わることはまだまだたくさんあります。父が元気なうちに、緑茶作りに関する出来る限りのことを学びたいと思っているんです」

親子でありながら、仕事の場面では師弟関係のようなお二人の姿に、古き良きものを受け継ぎながら新しい方法を取り入れる丸高農園の真髄を見たような気がします。

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